学校薬剤師『なんでも掲示板』
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[495] 迷惑メールについて 投稿者:Y.F 投稿日:2012/02/23(Thu) 11:02 [返信]  

以前は、ホームページの掲示板荒らしが盛んでしたが、最近は掲示板を設置しているホームページが少なくなり、これはほとんど無くなりました。

いま、問題となっているのは迷惑メールです。法整備も進んでいますが、まだ完全ではありません。下手にメールアドレスを記して、受信拒否の連絡をすると、逆効果になることもあります。

特にアダルトサイトのメールは、女性名で送られてきます。女性名にすれば簡単にクリックすると思っているのでしょう。騙されてはいけません。

私はフィルタで一括削除出来るようにしていますが、一応迷惑メールフォルダを確認しないと、必要なメールがこのフォルダに入っていることがあります。

送信者名に、ローマ字表記をしている人がかなりおられますが、迷惑メールフォルダに振り分けされる可能性が高いので、出来るだけ漢字表記にするようおすすめします。

迷惑メールに法規制
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/haiteku/haiteku/haiteku403.htm



[494] ディスプレイ交換 その後 投稿者:Y.F 投稿日:2012/02/16(Thu) 12:42 [返信]  

ディスプレイを17インチから22インチのものに交換して2週間になります。大きさが全く違いますので、このホームページその他、老眼鏡なしで見ることができます。そのためか、目の疲れも少なくなり、肩こりも無くなりました。


やはり大きいということは、いいものですね。GyaO動画も迫力が違います。



[493] 脱法ドラッグと麻薬取締官 投稿者:Y.F 投稿日:2012/02/10(Fri) 11:35 [返信]  

麻薬取締官は覚せい剤やその他、摘発するまでに長期の捜査を行っています。これに脱法ドラッグが加われば仕事量がかなり増えますね。法改正によって、脱法ドラッグも地下にもぐるでしょうから。

麻薬取締官が脱法ドラッグの取締りに
http://blogos.com/article/31440/



[492] わいせつ画像の件 投稿者:H.Y 投稿日:2012/02/09(Thu) 16:31 [返信]  

私の子供(中一男子)がインターネットに接続中に
消えない画像が現れました。
シャットダウンして、また立ち上げても消えず大変でしたね。
あわてて振り込む人も多いだろうとは思いました。
子供の教育には役に立ちました。
子供は変なサイトを開いたわけではない、と言っていました。
信じることにします。(こりたでしょう。)



[491] 消しても消しても消えないわいせつ画像 投稿者:Y.F 投稿日:2012/02/09(Thu) 10:22 [返信]  

<PCウイルス>「ワンクリック詐欺」で立件へ 京都府警
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120208-00000093-mai-soci

万一このようなことが起こったらあわてないことです。無視すればいいのですが、画面を消しても自動的に立ち上がってきます。レジストリが書き換えられているからです。

このような場合はシステムの復元を実行すれば、元に戻すことが出来ます。



[490] 覚せい剤密輸ルートについて 投稿者:H.Y 投稿日:2012/02/09(Thu) 08:36 [返信]  

中国からのルートは知っていましたが、アフリカルートも
あるとは知りませんでした。
ルートが多様化していますね。
水際作戦にも限度があります。
覚せい剤が入ってきても、それを使用しない教育が求められると思います。
学校薬剤師の役割も大きいですね。



[489] 覚せい剤密輸ルートの広範化 投稿者:Y.F 投稿日:2012/02/08(Wed) 15:21 [返信]  

2月6日付、財務省発表資料をお知らせ欄に載せておきましたが、覚せい剤密輸ルートは全世界に広がっていますね。

その一部画像を添付します。



[488] ディスプレイの故障 投稿者:Y.F 投稿日:2012/02/03(Fri) 20:21 [返信]  

昨日の夕方突然ディスプレイが故障し、画面が真っ黒になってしまいました。このディスプレイは17インチで、8年近く使っていたものです。当時の価格は5万円以上でした。

昨日はレセコンメーカーに依頼し、代替機(17インチ)を頼みましたが、今日の夕方には22インチのものを持ってきてもらいました。私の仕事場ではこれ以上大きいものは置けません。

そろそろ買い替え時期と思っていましたので、画面を大きくすればどの程度文字が大きくなるのか、試して見たかったのです。やはり画面を大きくすれば、レセコンソフトの文字も若干大きくなります。最近目の疲れもひどくなりましたので、このサイズのものを買うことにしました。今では値段も安くなり、2万円以下で買えます。

ビッグカメラで買うつもりでしたが、レセコンメーカーの担当者がいつも親切にしてくれますので、価格は少し高くてもこちらに頼むことにしました。

また、昨日は鎌倉在住のメール友だちから、湘南海岸から写された富士山の写真と、庭にやってきたメジロの写真が送られてきました。昨日撮られたものです。

2月になり急激な低温ですが、メジロの写真を見ていると、春遠からじと思えてきます。添付した写真は2段階で大きくなります。



[487] 内部被曝の脅威 投稿者:Y.F 投稿日:2012/01/28(Sat) 10:57 [返信]  

[483]で「福島は広島にもチェルノブイリにもならなかった」という論文を紹介しましたが、今回はその対極的なものを紹介します。

内部被曝の恐怖【前編】
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120105-00000500-sspa-soci

内部被曝の恐怖【中編】
http://nikkan-spa.jp/119088

内部被曝の恐怖【後編】
http://nikkan-spa.jp/116117

肥田舜太郎
17年広島生まれ。医師。広島市への原爆投下により自身が被爆、その後被爆者の救援・治療にあたる。臨床体験をふまえて「原爆ぶらぶら病」と呼ばれる症状や、内部被曝、低線量被曝の影響に関する研究にも携わった。



[486] 薬物乱用防止啓発ポスターについて 投稿者:Y.F 投稿日:2012/01/24(Tue) 18:11 [返信]  

この件については、以前にも書きましたが、福岡県ではホームページで取り上げる気はないようです。東京都を例にあげて、申し入れをしたこともありますが、検討しますという返事だけです。本来なら福岡県が全国に先駆けてやらなければならないことです。依然として福岡県は最悪ですから。

キャンペーン時期に作品を掲示しただけでは、たまたまそこを通った人しか見られません。ホームページで取り上げれば、応募する生徒さんたちの励みにもなるのです。

このことは福岡市も同様です。入選作品を福岡市薬剤師会会報に載せていますが、会報を見るのは会員だけです。一般の生徒さんが見ることは先ずないでしょう。だから、このホームページで取り上げているのです。

平成23年度薬物乱用防止啓発ポスター入賞作品 和歌山県
http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/050400/yakuran/H23yakurannboushiposter.html



[485] 合法ハーブ問題 投稿者:Y.F 投稿日:2012/01/23(Mon) 15:51 [返信]  

厚労省の規制・取締り強化策が始動|合法ハーブ問題
http://blogos.com/article/29986/



[484] 違法ドラッグの発見について 東京都 投稿者:Y.F 投稿日:2012/01/19(Thu) 20:28 [返信]  

指定薬物を含有する違法ドラッグの発見について
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2012/01/20m1i300.htm



[483] あなたならどう考えるのか? 投稿者:Y.F 投稿日:2012/01/15(Sun) 17:08 [返信]  

とかく批判がある「アパグループ懸賞論文」、朝日・西日本(左)、毎日(中間)新聞社は取り上げませんね。、さすが産経(右)です。

あの田母神氏、渡部氏も激賞 「真の近現代史観」放射線論文が最優秀賞 「福島県民は誰も甲状腺がんにならない」
http://sankei.jp.msn.com/science/news/120115/scn12011512010000-n1.htm

高田 純(札幌医科大学教授)

「福島は広島にもチェルノブイリにもならなかった」
  東日本現地調査から見えた真実と福島復興の道筋
http://www.apa.co.jp/book_ronbun/vol4/2011japan.html



[482] 脱法ドラッグ 投稿者:Y.F 投稿日:2012/01/14(Sat) 20:31 [返信]  

夕感!:脱法ドラッグ、福岡汚染 「お香」と偽り幻覚作用 販売店増加、取り締まり強化
http://mainichi.jp/seibu/shakai/news/20120114ddg001040005000c.html



[481] 青天の霹靂 投稿者:Y.F 投稿日:2012/01/08(Sun) 18:07 [返信]  

明けましておめでとうございます。

1月4日に書き込んだものを、うっかりして削除してしまいました。再度書き込みします。

表題の「青天の霹靂」は、元福岡市医師会長「樋口正士先生」から頂きました年賀状に書かれていた言葉です。

昨年の12月、先生からのお電話で、今年3月で閉院し、4月から、ギニア共和国の総領事に就任するというお話があり、大変驚きました。

そのとき、どういう経緯でそのようになったのですかとお尋ねしましたら、私にもよく分かりませんという不思議なご返事でした。ギニアとの繋がりは何もないそうです。

さらにお尋ねしましたら、ギニアは福岡市に総領事館(他にはなし)を置きたいということと、先方は、先生のことを詳しく調べていて、是非にということでしたので、お引き受けすることにしましたということでした。

電話でしたので、それ以上のことはお聞きしませんでしたが、樋口クリニックの場所・施設がそのまま総領事館になりますので、ここは治外法権となり、気軽に訪れることは出来なくなります。

なぜ樋口先生が指名されたのか、謎が残りますが、先生の人柄が見込まれたためでしょう。また、ギニア共和国は、まだ完全に政情が安定している国家ではありません。言葉(公用語はフランス語)も不自由でしょうし、よくぞ引き受けられたものと感嘆しています。

樋口先生の今後のご活躍を祈念する次第です。



[480] HP画像の使用について 投稿者:Y.F 投稿日:2011/12/28(Wed) 09:35 [返信]  

昨日、北海道の大学生が中学生用の教材として、このホームページを利用していると、NHK旭川放送局のディレクターさんから書きこまれていました。

このホームページがお役に立っているとうことは、大変嬉しいことです。何かお歳暮を頂いたような気分になりました。

竹前ディレクターさんには、ご自由にお使い下さいとご返事を出しておきましたが、MDMAの画像はこのホームページ立ち上げた時からの目玉の一つで、過去にも全国各地から同様の申し出がありました。

また、印刷してお使いになる場合、大きいサイズの画像が必要であればご提供しますので、ご遠慮なくお申し出下さい。



[479] HP画像の使用について 投稿者: 投稿日:2011/12/27(Tue) 12:04 [返信]  

NHK旭川放送局でディレクターをしている者です。

大学生が中学生に薬物の怖さを教える授業の取材をしております。
大学生が授業で使うスライドの中で、このHP上の写真を使用しているのですが、
それを撮影して北海道内向けのニュースの中で流すことは可能でしょうか。

大学生が使用している画像は、
1、シンナーを吸っている人が書いたうずまきの画像
2、カラフルなMDMAの画像
です。

2は九州厚生局提供ということですので、
そちらにも確認をしようと考えています。

返信はお手数ですがメールでいただけますと、大変ありがたいです。
よろしくお願いいたします。



[478] 民謡をたずねて その34 投稿者:Y.F 投稿日:2011/12/26(Mon) 15:06 [返信]  

このシリーズ、最初は15回くらい続くなかな、と思っていましたら30回を超えてしまいました。今回で最後にします。

「竹田の子守唄」
この唄はある意味で特殊な民謡ですが、今ではフォークソングになっています。

この曲は京都、大阪の複数の被差別部落に伝わる守り子歌(子守の仕事をしている子供の労働歌)です。 この民謡・歌曲が注目されたきっかけは1969年にフォークグループの「赤い鳥」が「第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」で演奏してからです。

しかし、そもそもは住井すゑの「橋のない川」が舞台化される際、音楽担当であった尾上和彦が被差別部落の一つである京都の竹田地区で採集した民謡を編曲して使ったもので、それが竹田地区の部落解放同盟の合唱団のレパートリーとなり、フォーク歌手たちにも広まったと考えられています。

尾上和彦が採集したのがたまたま竹田地区であったので、「竹田の子守唄」とされました。それ以前は題名がついてなかったのです。

他のフォーク歌手が歌うのを聴き、赤い鳥も歌うようになったのですが、1971年2月5日にシングル・カットして3年間でミリオンセラーとなりました。

しかし、被差別部落絡みの楽曲であった為に日本の放送局はこの楽曲を放送したがらなくなり、いわゆる「放送禁止歌」(封印作品)として長い間封印されていました。

1990年代に封印は緩和され、赤い鳥の解散後に結成された紙ふうせんを始め、多くの歌手によってカヴァーされていますが、今でも放送局は積極的に取り上げようとはしていません。

竹田の子守唄〜山本潤子(赤い鳥)
http://www.youtube.com/watch?v=qWANrDFnflc&feature=related

※追記
日本の民謡の多くに、江戸時代の北前船が大きく関わっています。「佐渡おけさ」の項で書いたように、天草の牛深ハイヤ節が転々として「佐渡おけさに」になりました。

つまり、北前船は物資だけでなく、人と共に「民謡」も運んだのです。そして各地で独自の発展を遂げました。例を挙げればきりがありませんが、北海道の「江差追分」は関東地方から伝わって独自の唄となりました。

最後に、このシリーズではTou Tube にリンクしていますが、著作権の関係で削除されることが度々あり、何度も入れ替えしています。



[477] 民謡をたずねて その33 投稿者:Y.F 投稿日:2011/12/22(Thu) 13:28 [返信]  

子守唄

子守唄は全国各地にありますが、代表的なものは「江戸子守唄」「五木の子守唄」「中国地方の子守唄」「島原地方の子守唄」「竹田の子守唄」です。

子守唄には、親が子どもを寝かしつけるときに歌う唄と、幼くして故郷を離れた子守り娘が歌う「守子唄」があります。

「江戸子守唄」

「ねんねんころりよ」で始まる日本の「江戸子守唄」は、江戸時代より代々受け継がれてきた歴史の長い唄で、全国に広がりました。

江戸子守唄
http://www.youtube.com/watch?v=7rYBjqzp7BQ

Philip Koutev choir - Edo Komoriuta - 江戸子守唄 (live)
http://www.youtube.com/watch?v=VCTXGCuawZc&feature=related

「中国地方の子守唄」

中国地方の子守唄は、岡山県の西南部、井原市高屋町が発祥の地とされ、この付近に伝わる古い子守歌を1938年に山田耕筰が編作したものがよく知られています。

中国地方の子守唄発祥の地紹介
http://www.city.ibara.okayama.jp/komoriuta/index.html

森昌子 中国地方の子守歌 
http://www.youtube.com/watch?v=EDbBjkBHHTQ



[476] 民謡をたずねて その32 投稿者:Y.F 投稿日:2011/12/12(Mon) 20:06 [返信]  

民謡とお祭り

民謡における音頭

日本の民謡において古来より存在した楽曲形式のひとつに、曲の主要部分を独唱者が歌い、唱和者が斉唱する掛け合いのような楽曲があり、この独唱者について音頭と呼んでおり、やがてこのような楽曲そのものを「音頭」と呼称するようになりました。

音頭形式の楽曲はその地域の伝承などを盛り込んだものが日本各地で作成され、「秩父音頭」「秋田音頭」「河内音頭」「江州音頭」などと名称が付けられるようになりました。

祇園祭そのものは千年以上の古い歴史がありますが、「祇園祭音頭」 は1957年(昭和32年)に祇園祭復活10周年を記念して創作。10日のお迎え提灯、16日の宵宮神賑奉納神事に、一般的なお揃いの浴衣を着て舞台化粧並みの厚化粧をした小学生位の少女多数が可憐に舞い踊ります。歌っているのは島倉千代子です。

祇園祭 お迎え提灯 祇園音頭 八坂神社
http://www.youtube.com/watch?v=JetG70dRETE&feature=related

また学校教育の一環としていわゆるフォークダンスとともに音頭にあわせて踊ることがなされており、これら若年層を対象とした音頭はいまでも作曲されています。

幼稚園でアンパンマン音頭
http://www.youtube.com/watch?v=TcEWz06JEr8&feature=related

一番新しい音頭

東京スカイツリー音頭
http://www.youtube.com/watch?v=XgvyCjpsDx8&feature=related

古い音頭の例

秋田音頭
http://www.youtube.com/watch?v=FH-aVjV6oms

ISOPP&藤あや子 ヒップホップ 秋田音頭
http://www.youtube.com/watch?v=U_tLNUPOu5Y&feature=related

音頭から歌謡曲へ

眞室川音頭(ブギ)
http://www.youtube.com/watch?v=k7TuQJ5OtlQ&feature=related



[475] 民謡をたずねて その31 投稿者:Y.F 投稿日:2011/12/06(Tue) 19:51 [返信]  

民謡とお祭り

よへほ節と山鹿灯籠祭り

これはなかなか豪華なお祭りです。
山鹿灯籠まつり(やまがとうろうまつり)は、熊本県山鹿市、山鹿温泉にある大宮神社の祭りで、その諸行事は毎年8月15日から17日にかけて行われています。民謡「よへほ節」のメロディーにのって、浴衣姿の女性が、金・銀の紙だけで作られた金灯籠(かなとうろう)を頭にのせ、市内を踊り歩きます。

この祭りの起源にはいくつかの説があります。一つは、景行天皇が九州を巡幸しているとき、加茂の浦の湖(現山鹿市内)で濃霧が立ちこめ、一行は進路を見失ってしまった。このとき、地元住民が松明を灯して一行を大宮神社のところまで導いた。この松明がのちに灯籠となって神社に奉納された、とする説。

もう一つは、室町中期、山鹿の温泉が枯れてしまったとき、宥明法印(山鹿金剛乗寺)が祈祷によってふたたび温泉を湧き出させた。この宥明法印の没後、その追善のために灯籠が奉納された、とする説などがあります。

8月16日、午前10時から大宮神社で例祭献幣式が行われます。この日の灯籠踊りも夕方からおまつり広場などで披露されますが、午後6時45分からと9時30分からの二回、山鹿小学校グラウンドで行われる「千人灯籠踊り」がこの祭りの最大のクライマックスです。頭上に金灯籠(かなとうろう)をのせた浴衣姿の女性、千人による優雅な踊りは圧巻であり、ゆったりした「よへほ節」が会場に流れるなか、薄暗闇に千の灯が浮かび、櫓を中心にして渦のように流れ、揺らめき、とても幻想的な光景です。

旅行記・山鹿灯籠まつりを訪ねて 
http://washimo-web.jp/Trip/YamagaMatsuri/yamagamatsuri.htm

山鹿灯籠祭り・千人灯籠踊り
http://www.youtube.com/watch?v=YMRQVQ2E96s&feature=related



[474] 民謡をたずねて その30 投稿者:Y.F 投稿日:2011/12/01(Thu) 10:35 [返信]  

民謡とお祭り

北海盆唄

三笠市幾春別の炭鉱が発祥の地で、北海道各地でお盆になると盆踊り用の曲として用いられています。三笠市では、発祥の地をアピールするべく、毎年8月、三笠北海盆おどりが開催されています。

元は「べっちょ節」(炭鉱節)と呼ばれる卑猥な歌詞を持つ歌で、炭鉱労働者が盆踊りとして踊っていたものですが、太平洋戦争後(昭和15年8月)、「北海民謡の父」といわれる今井篁山が歌詞・曲調を見直し、三橋美智也の歌によりレコード化、大ヒットしたことがきっかけになり全国的に普及しました。

TBS系で放映されていた「8時だョ!全員集合」のオープニングテーマは、この曲の替え歌で、ザ・ドリフターズが歌っていました。

さっぽろ夏祭り2010最終日 北海盆踊り
http://www.youtube.com/watch?v=BoIC6TYolSQ&NR=1&feature=endscreen

ドリフターズ ドリフ音頭 北海盆唄
http://www.youtube.com/watch?v=XE_6rpj1SAg



[473] 民謡をたずねて その29 投稿者:Y.F 投稿日:2011/11/23(Wed) 15:58 [返信]  

民謡とお祭り

木曽節

これも全国的に有名な民謡です。これを取り上げようと思ったのは二つの楽譜が見つかったからです。一つは木曽町観光協会のサイト、解説文とともに楽譜が掲載されています。

この楽譜を見ると「ホ短調」で、プロの歌手か発声練習をした人でないと高音部を出すのは苦しいでしょう。以下を参照して下さい。

木曽節
http://www.kankou-kiso.com/event/kisobushi.html

もう一つは「ト短調」の楽譜です。これなら誰でも歌えるでしょう。以下を参照して下さい。

木曽節
http://www.plamrec.com/shityou5.htm

森昌子は更にキーを二つ下げて歌っています(イ短調)。これならもっと楽に歌えますね。

森昌子 木曽節 
http://www.youtube.com/watch?v=azoYf2FdC0o



[472] 民謡をたずねて その28 投稿者:Y.F 投稿日:2011/11/16(Wed) 18:04 [返信]  

民謡とお祭り

会津磐梯山

これは誰でも知っている有名な民謡です。これにつては大変興味深い解説が書かれているサイトがありますので、以下を参照して下さい。

「セクシー会津磐梯山」
http://www5f.biglobe.ne.jp/~daddy8/y/90/90f.htm

ただ、この中で書かれていないことを一つだけ付け加えておきます。それは、「小原庄助さん、なんで身上しもうた…」という囃子は、小唄勝太郎自身がアレンジしたもので、戦後は「身上つぶした」と歌われるようになりました。

盆踊り 会津磐梯山
http://www.youtube.com/watch?v=lDEBXU5nyko&feature=related

森昌子 会津磐梯山
http://www.youtube.com/watch?v=bjM6MTkN2rc&feature=related



[471] 民謡をたずねて その27 投稿者:Y.F 投稿日:2011/11/14(Mon) 12:07 [返信]  

民謡とお祭り

津軽じょんから節と津軽三味線

三味線は中東から中国に伝わり、三弦(サンシェン)となり、琉球王国と中国(福州)との貿易により琉球にもたらされ、宮廷音楽に採り入れられて三線(サンシン)となりました。

16世紀末、琉球貿易により堺に中国の三弦がもたらされ、短期間の内に三味線へと改良されました。豊臣秀吉が淀殿のために作らせた三味線「淀」が現存しますが、華奢なものの、すでに基本的に現在の三味線とほとんど変わらない形状をしていいます。

江戸時代中期に日本独特の三味線となり、以降、三味線は日本各地の土着芸能と融合して様々に発達し、当時日本最北端であった津軽地方において津軽三味線となりました。

津軽三味線は、津軽地方(現在の青森県西部)で成立した三味線音楽。本来は津軽地方の民謡伴奏に用いられていましたが、現代においては特に独奏を指して「津軽三味線」と呼ぶ場合が多く、撥を叩きつけるように弾く打楽器的奏法と、テンポが速く音数が多い楽曲に特徴があります。

津軽地方の三味線は他の三味線音楽とは全く異質な音楽として発達を遂げました。三味線も細棹ないし中棹から太棹に変化し、奏法も「叩き」を中心とする打楽器的な奏法が主流を占めています。

高橋竹山の著書によると、お祭りがあればその神社の境内にはずらりとボサマ達が並び、互いの腕を競い合うかのように三味線を演奏していた。そんな環境の中、津軽三味線草創期の名人と呼ばれる人々は、他のボサマより目立つために、より大きな音・派手な技を追求するようになり、太棹となったのです。

現代では独奏楽器としての側面が強調され、吉田兄弟、木乃下真市(木下伸市)、上妻宏光らの若手奏者が独奏主体の演奏スタイルを確立しています。

津軽じょんから節の由来
http://www6.tok2.com/home/bego/jonkara.htm

津軽じょんから節
http://www.youtube.com/watch?v=WWQaIWpmi9w&feature=related

長山洋子 じょんから女節
http://www.youtube.com/watch?v=fa7XXxN7hPg&feature=related

2003年6月25日に発売された「じょんから女節」では、三味線の立ち弾きを披露し、ロングヒット曲となりました。また、現在、津軽三味線澤田流の名取で、「澤田勝姫」(さわだ かつき)の名前を持っています。



[470] 民謡をたずねて その26 投稿者:Y.F 投稿日:2011/11/11(Fri) 12:34 [返信]  

民謡とお祭り

山形花笠まつり

花笠まつりで歌われる「花笠音頭」の起源は諸説ありますが、大正中期に尾花沢で土木作業時の調子あわせに歌われた土突き歌が起源といわれております、昭和初期にこれが民謡化され「花笠音頭」(またの名を「花笠踊り唄」といわれる)ようになりました。また、1963年(昭和38年)パレード用に振り付け、蔵王夏祭りとして始まりました。

例年8月5日・6日・7日の3日間開催され、パレードは文翔館正面から南西方向に伸びる県道19号山形山寺線および国道112号(七日町商店街ほか)で開催されます。

元々山形市の伝統行事は、山形藩初代藩主である最上義光を祭る義光祭(きごうさい)でした。山形新聞・山形交通の社長で事実上の山形県の最高実力者であった服部敬雄が、山形県内で比較的伝統的な踊りを夏期観光の目玉として売り出すことを提唱し、1963年(昭和38年)に「蔵王夏まつり」のイベントの1つとして「花笠音頭パレード」が始まったのです。その後、1965年(昭和40年)から「山形花笠まつり」として独立し、現在に至っています。

Hanagasa Ondo ー花笠音頭
http://www.youtube.com/watch?v=1j43XMl9z4o&feature=related

所変われば品変わるといいますが、大学の入学式でこのような踊りが披露されるとは、珍しいですね。厳粛な入学式のムードが一変されることでしょう。山形大学では恒例になっているようです。

山形大学入学式「花笠踊り」
http://www.youtube.com/watch?v=Kq6QkQ7oeHk&feature=related



[469] 民謡をたずねて その25 投稿者:Y.F 投稿日:2011/11/09(Wed) 12:17 [返信]  

民謡とお祭り

西馬音内(にしもない)盆踊り

岐阜県郡上市八幡町の群上(ぐじょう)踊り、阿波踊りとともに、日本三大盆踊りの一つ。

何をもって三大盆踊りといわれるのか分かりませんが、多分どれも発祥の歴史が古いからでしょう。規模だけなら、もっと大きいものがありますので。

この三つの中で、最も発祥の歴史が古いのが「西馬音内盆踊り」で、定かではありませんが、伝承によると正応年間(1288-93)、修行僧源親が蔵王権現(現在の御嶽神社)を勧請し境内で豊年祈願として踊らせたものという説があります。

西馬音内盆踊とは秋田県雄勝郡羽後町西馬音内で行われる盆踊りで、毎年8月16日から18日まで西馬音内本町通りにおいて行われます。顔を隠した編笠が特徴的です。

昭和56年1月21日、盆踊りとしては全国で初めて国の重要無形民俗文化財に指定されました。その5年後、「群上踊り」も国の重要無形民俗文化財に指定されています。

西馬音内盆踊り--音頭
http://www.youtube.com/watch?v=uHb6I8ul2m8&feature=related

今年の7月発売されたばかりですが、城之内早苗の西馬音内 盆唄は、なかなかいい曲です。

城之内早苗/西馬音内 盆唄
http://www.youtube.com/watch?v=R6CjHdrRmNk



[468] 民謡をたずねて その24 投稿者:Y.F 投稿日:2011/11/02(Wed) 11:07 [返信]  

民謡とお祭り

渋谷おはら祭り

5年前から、鹿児島のおはら祭りで「渋谷音頭」が踊られるようになりました。渋谷と鹿児島市、一見何の関係もないように思われますが、これについては次を参照して下さい。

渋谷と鹿児島 〜 渋谷おはら祭り
http://washimo-web.jp/Report/Mag-ShibuyaOhara.htm

「渋谷音頭」は昭和53年11月1日に「区の歌」として制定されました。

「鹿児島おはら節」踊りパレード (第13回渋谷・鹿児島おはら祭 100516)
http://www.youtube.com/watch?v=UDtdeBKkDC0

渋谷音頭
http://www.youtube.com/watch?v=pO7i3LFEslE



[467] 民謡をたずねて その23 投稿者:Y.F 投稿日:2011/11/02(Wed) 10:50 [返信]  

民謡とお祭り

鹿児島のおはら祭

鹿児島小原節については、その4でちょとだけ触れましたが、今日と明日、鹿児島市でおはら祭が行なわれます。

このお祭は、1949年(昭和24年)に鹿児島市制60周年を記念して始まりました。踊り連は高見馬場からいづろ交差点を通り桟橋通りまでに2万人程度の踊り連が連なり、「鹿児島おはら節」・「鹿児島ハンヤ節」・「渋谷音頭」などが踊られます。総踊りだけではなく色々な催しが行われます。祭りは本祭りの前夜に行われる夜祭りと本祭りがああります。

なお、例年11月2・3日にわたって行われる祭ですが、今年は60回を記念して、中央駅前でのイベントの実施など、祭りの内容を拡充して開催されるそうです。

おはら節の由来
http://www4.synapse.ne.jp/bun/oharabushi_yurai.htm

おはら節
http://www.youtube.com/watch?v=sP5Ti87Gzwk

鹿児島ハンヤ節
http://www.youtube.com/watch?v=5V_cOkAdRCg



[466] 民謡をたずねて その22   投稿者:Y.F 投稿日:2011/10/28(Fri) 14:46 [返信]  

民謡とお祭り

相馬盆唄

3.11の大震災がなければ、今年もこの歌に乗せて盛大なお祭りが行なわれたことでしょう。地元の方々のお気持ちを思うと、察するにあまりがあります。一日でもは早い復興と、再びお祭りが出来るよう心から祈念しています。

福島県相馬地方は民謡の宝庫です。相馬民謡全国大会も1957年から毎年10月、全国への普及振興を図る目的で開催されていました。こちらの再開も望まれることです。

相馬盆唄は、福島県相馬地方の民謡。盆踊唄の一種で、相馬盆踊唄とも呼ばれています。元は秋田甚句の系統で、山形県の庄内・村山地方を経て福島県中通り・浜通りに伝わりました。

現在は鈴木正夫の編曲によるものが普及しています。土地の豊作を予祝する詞で、歌詞の7・7・7と5の間に「ヤレサ」の囃し詞が入る形式は関東の日光和楽踊りや秩父音頭に受け継がれています。

地元の盆踊唄を持たない東京などの都市部の盆踊りでは、東京音頭や北海盆唄などと並んで親しまれています。

相馬盆唄
http://www.youtube.com/watch?v=pFz43HA_3Qk

新相馬節

第二次世界大戦後、相馬市の堀内秀之進が、「相馬草刈唄」を基礎に、宮城県から福島県にかけて伝わる「石投げ甚句」を加えて編曲し、鈴木正夫が独特の節回しで歌ったものが全国的に知られるようになりました。相馬地方は数多くの民謡を生んだ土地で、「羽黒節」などいくつかの民謡が新相馬節の土台となったと考えられています。

森昌子 新相馬節
http://www.youtube.com/watch?v=FOxPUH7aGFo&feature=related



[465] 民謡をたずねて その21  追記 投稿者:Y.F 投稿日:2011/10/25(Tue) 15:57 [返信]  

昨日書きました、「おわら風の盆」中で、高橋治著「風の盆恋歌」のストーリも紹介するつもりでしたがうっかり忘れていました。このストーリを知って、石川さゆりの「風の盆恋歌」を聴けば、また趣が違ってくるでしょう。以下を参照して下さい。

高橋治「風の盆恋歌」
http://www.asahi.com/travel/traveler/TKY200609300126.html



[464] 民謡をたずねて その21 投稿者:Y.F 投稿日:2011/10/24(Mon) 11:58 [返信]  

民謡とお祭り

おわら風の盆

普段はひなびた坂の多い山間にある人口二万人ほどの静かな町、富山市八尾町(旧婦負郡八尾町)で行なわれる「おわら風の盆」には、3日間で30万人ほどの観光客が訪れるようになっているそうです。

当然のことながら、それだけの観光客を受け入れられる施設はありませんから、遠い所に宿泊しなければなりません。

このお祭りの起源は、江戸時代の元禄期にさかのぼると伝えられています(『越中婦負郡志』)。それによると、町外に流出していた「町建御墨付文書」(町外に流出していた殿様のお墨付文書)を町衆が取り戻したことを喜び、3日3晩踊り明かした出来事に由来するそうです。毎年9月1日から3日にかけて行なわれています。

このお祭りを有名にしたきっかけは、高橋治の小説「風の盆恋歌」(1985年刊)ですが、何と言っても、石川さゆりの同名タイトル曲(1989年)の発表が、大きく寄与しています。

お祭りでは、越中おわら節の哀切感に満ちた旋律にのって、坂が多い町の道筋で無言の踊り手たちが洗練された踊りを披露しています。艶やかで優雅な女踊り、勇壮な男踊り、哀調のある音色を奏でる胡弓の調べなどが来訪者を魅了しています。

越中おわら節
http://www.youtube.com/watch?v=aK41eqpf5io&feature=related

風の盆恋歌 石川さゆり
http://www.youtube.com/watch?v=DFbzzmt_OSMv=7VOepsSR3a4&feature=related



[463] 民謡をたずねて その20 投稿者:Y.F 投稿日:2011/10/21(Fri) 12:49 [返信]  

民謡とお祭り

よさこい祭り

よさこい祭りは、1954年(昭和29年)、徳島の阿波踊りに対抗する形で、高知商工会議所有志により第一回よさこい祭りが開催されました。

毎年8月9日の前夜祭、8月10日と8月11日の本番、8月12日の全国大会と後夜祭の4日間にわたって高知県高知市で開催され、延べ約100万人の人出があります。

1992年(平成4年)、高知県のよさこい祭りと、北海道のソーラン節がミックスされて、YOSAKOIソーラン祭りが開催されて大成功したのがきっかけで、「よさこい祭り」は「YOSAKOI祭り」として全国各地で開催されるようになりました。

福岡市の「ふくこいアジア祭り」もその流れから生まれたものの一つで、海外からの参加もあります。

さて、高知のよさこい祭りですが、現在ではサンバ、ロック、ヒップホップ、演歌、フラメンコ、フラダンスなど各々のチームが趣向を凝らした楽曲と振り付けが披露されています。福岡市も同様です。

しかし、高知のよさこい祭りは、武政英策が作詞作曲した「よさこい鳴子踊り」がメーンで、都はるみが歌ったバージョンが有名です。

よさこい鳴子踊り 都はるみ
http://www.youtube.com/watch?v=cx2_nJemlmw&feature=related



[462] 民謡をたずねて その19 投稿者:Y.F 投稿日:2011/10/19(Wed) 16:28 [返信]  

民謡とお祭り

盆踊りなど、お祭りには民謡がつきものです。ただし、民謡と無関係なお祭りもあります。その代表的なものが「祇園祭」です。

平安時代に始まった、京都市東山区の八坂神社(祇園社)の祭礼である祇園祭は、病気平癒(はやりやまい)を祈願したお祭りとして始まりましたが、やがて全国各地で行われるようになりました。ここで使われている「祇園囃子」は 邦楽の曲名の一つです。

「博多祝い唄 (博多祇園山笠)」
http://www.youtube.com/watch?v=piyb1rCthtw

博多祇園山笠も有名なお祭りですが、博多の祭りとしては、「博多どんたく」の方が規模は大きいようです。

博多どんたくは、福岡市で毎年5月3日と5月4日に開催される祭りで、動員数は200万人を越え、青森県弘前市の「弘前さくらまつり」や長野県の善光寺の御開帳、広島県広島市の「ひろしまフラワーフェスティバル」と並び、動員数で国内最大級の祭(都市まつり)です。

「博多どんたく」は博多松囃子を母体として形成・発展してきました。室町時代の松囃子の習慣が博多にも伝播したのが始まりとも考えられています。

「ぼんちかわいやねんねしな」

これについては、下記福岡市広報課のサイトをご覧ください。
http://www.city.fukuoka.lg.jp/charm/mamechishiki/chishiki5.html

※博多どんたく 
http://www.youtube.com/watch?v=RlWVyWMHzF8&feature=related



[461] 民謡をたずねて その18 投稿者:Y.F 投稿日:2011/10/17(Mon) 19:54 [返信]  

民謡をアンコにした歌

ダンチョネ節

これは、神奈川県三浦三崎地方の民謡です。最初は商船学校の生徒たちの間で流行していましたが、太平洋戦争勃発とともに、海軍航空隊でもはやりだし、盛んに歌われるようになりました。

従って、民謡よりも「軍歌」としての方が有名になりました。鶴田浩二の歌が代表的で、その2に載せています。

八代亜紀 舟歌
http://www.youtube.com/watch?v=H2GaKDtFfUg&feature=related

ダンチョネ節 小林旭
http://www.youtube.com/watch?v=paKKavOUfvk&feature=related

民謡とは関係ありませんが、軍歌で思い出しましたので、最も軍歌らしくない軍歌の話を書いておきます。

〇別れ船 

この歌は昭和15年、陸軍省からの依頼により「軍国歌謡」として作られたもので、作詞の清水みのるは陸軍報道班員として北支戦線に従軍し、その体験をもとに、出征してゆく兵士の気持ちを歌に託しました。それがこの「別れ船」です。

ところが、陸軍省から大目玉をくらいましたた。およそ軍の期待していた勇壮なものとはイメージが違い過ぎていたからです。しまいには、「亡国の歌」だとまで決めつけられました。清水みのるにしてみれば、「名残つきない はてしない・・・」と見送りの人たちに向かって呼びかけ、別離の哀愁を漂わせたつもりだったのです。

それに、だいいち、田端義夫という歌手には、歯切れのいいマーチ・テンポの軍歌は向きません。彼の歌唱は「バタやん節」として知られているように、小舟の波に揺れるような哀韻ひょうひょうとした節回しです。あの特異なバイブレーションに彼の歌の命があるのです。だから「別れ船」は情緒てんめんたる男女の別れを歌った、見事な歌謡曲になってしまいました。それでも清水みのるにいわせると、これは「軍服を着ない軍歌」だそうです。

別れ船 / 田端義夫
http://www.youtube.com/watch?v=1TXMbGVTsLs&feature=related



[460] ありがとうございます。 投稿者: 投稿日:2011/10/15(Sat) 21:31 [返信]  

使用許可ありがとうございました。


[459] Re:[458] 画像の使用について、 投稿者:Y.F 投稿日:2011/10/14(Fri) 09:16 [返信]  

> 山口県で小学校の学校薬剤師をしています。このたび、「ダメ、ゼッタイ)教室の依頼がありました。こちらのホームページの「小学校の教室」の画像をパワーポイントで使用およびシナリオの使用をお願いしたいのですが、許可願えますか。

藤野優子様

このホームページの中でお役に立つものがありましたら、どうぞご自由にお使い下さい。(管理人より)



[458] 画像の使用について、 投稿者: 投稿日:2011/10/13(Thu) 23:05 [返信]  

山口県で小学校の学校薬剤師をしています。このたび、「ダメ、ゼッタイ)教室の依頼がありました。こちらのホームページの「小学校の教室」の画像をパワーポイントで使用およびシナリオの使用をお願いしたいのですが、許可願えますか。


[457] 民謡をたずねて その17 投稿者:Y.F 投稿日:2011/10/13(Thu) 11:19 [返信]  

民謡をアンコにした歌

佐渡おけさ

佐渡おけさの歴史は、熊本県天草市の牛深港(旧牛深市)に伝わる酒席の騒ぎ唄である牛深ハイヤ節が、北前船の船乗り達によって小木港(旧佐渡郡小木町)に伝わり、「小木おけさ」として広まり、それが相川(旧佐渡郡相川町)の佐渡金山の鉱夫達に広まって、「選鉱場節」として哀愁漂うメロディとなったとされています。

流行

「選鉱節」が1906年(明治39年)「相川おけさ」となり、1921年(大正10年)に開催された「第二回全国民謡大会」において初めて「佐渡おけさ」として発表されました。1926年(大正15年)「青化選鉱場」に勤務していた村田文蔵が日蓄レコードより「佐渡おけさ」を発売し、山田耕筰・藤原義江に絶賛され、ビクターレコードの専属歌手に転職、全国はもとより、南樺太、満州国、台湾、朝鮮などでコンサートを開催し、佐渡おけさを普及させた。1931年(昭和6年)、浪曲師の寿々木米若が民話「佐渡情話」をアレンジし中に「佐渡おけさ」を取り入れ発売し、大ヒットとなり、再び「佐渡おけさ」が脚光を浴びました。

東海林太郎の「麦と兵隊」では、間奏に使われています。

おけさ唄えば 橋幸夫 Cover 華之将
http://www.youtube.com/watch?v=F6zUMbc7JVY

佐渡の恋唄 細川たかし
http://www.youtube.com/watch?v=sC_htbaZmhc

三波春夫 チャンチキおけさ
http://www.youtube.com/watch?v=MGz8IKgorME&feature=related

麦と兵隊 東海林太郎
http://www.youtube.com/watch?v=E3IuYh1qwKg&feature=related 



[456] 民謡をたずねて その16 投稿者:Y.F 投稿日:2011/10/11(Tue) 18:04 [返信]  

民謡をアンコにした歌

ソーラン節

北海道の代表的民謡、ソーラン節はニシン漁の時に漁師が歌った歌です。これをアンコにした曲はいろいろいろありますが、有名ななものは、こまどり姉妹の「ソーラン渡り鳥」と「きよしのソーラン節」です。

ソーラン渡り鳥 こまどり姉妹
http://www.youtube.com/watch?v=t0NE2qf84BU

きよしのソーラン節
http://www.youtube.com/watch?v=mLGFxEYH5X4&feature=related

アンコの曲ではありませんが、私が感動したのは、南中ソーランです。以下ウイキペディアより引用。

南中ソーラン(ロックソーラン節)は、北海道の稚内市立稚内南中学校で初めて踊られた、北海道の民謡であるソーラン節をアップテンポにアレンジしたものである。歌っているのは民謡歌手の伊藤多喜雄。

歴史
1983年当時、稚内南中学校は大変荒れた学校だった。そこで、教師が荒れからの脱出と文化祭の取り組みとしてソーラン節を踊ることを提案した。その後、民謡歌手の伊藤多喜雄と舞踏家の春日壽升との出会いがあり、力強いテンポの曲に加え激しい踊りが今までのソーラン節に加わり、南中ソーランとして確立した。1993年には南中郷土芸能部が第10回日本民謡民部大賞を受賞し、南中ソーランは一躍注目を浴びた。

現在の南中ソーラン TBS系のテレビドラマ3年B組金八先生で生徒達が南中ソーランを踊るシーンがあり、全国的に有名になった。現在南中ソーランは老若男女問わず全国各地で踊られており、特に中学校、高等学校の体育大会や文化祭などに踊られることが多い。

南中ソーラン
http://www.youtube.com/watch?v=A1K_mMd1sjU



[455] 民謡をたずねて その15 投稿者:Y.F 投稿日:2011/10/07(Fri) 15:57 [返信]  

民謡をアンコにした歌

五木の子守唄

アンコとは、饅頭の(あんこ)と同じ意味で、歌の中に他の歌を取り込んで作ったもののことです。アンコにすことによって、歌のイメージがより強くなります。

そういう意味で、アンコに出来る歌は誰でも知っているものでなければ意味がありません。作曲家の腕の見せ所でもありますが、五木の子守唄がいかに有名な曲であるかの証左でもあります。

五木の子守唄をアンコにした歌では、美空ひばりの「哀愁波止場」が典型的な形です。

石原裕次郎の「故郷慕情」は、替え歌ではないかと思えるほどです。この曲、以前は単独でUPされていましたが削除されているようですので、カップリング曲を載せておきます。2曲目にありますので、画面上で動いているバーの丸印を真ん中まで引っ張って(移動)して聴いて下さい。

五木ひろしの「おふくろの子守歌」は、前年に発売された話題作でしたが、母の急死以後は封印。2002年の紅白でその封印を解き、初披露(大トリ)されました。本人の歌はUPされていませんでしたの他人の曲です。

なお、五木の子守唄の解説は、2009/08/21 のコラムで書いたものがありますので、それを参照して下さい。

歌い継がれてほしい日本の歌 その9「五木の子守唄」
http://www.fk-gakuyaku.jp/html/kirakira139.html

美空ひばり哀愁波止場
http://www.youtube.com/watch?v=xlEd9lF_1EY&feature=related

石原裕次郎・青春譜no6 / 銀座の空にも星が降る / 故郷慕情
http://www.youtube.com/watch?v=WWWwsGs4ekk

おふくろの子守唄 新二郎
http://www.youtube.com/watch?v=ZwDfDl7jdtE&feature=related



[454] 民謡をたずねて その14 投稿者:Y.F 投稿日:2011/10/06(Thu) 15:06 [返信]  

新民謡について(12)

いろいろ書いて来ましたが、新民謡の項については一応今回で最後にします。

ところで、日本にはご当地ソングと言われるものがたくさんあります。これらの曲もいつの日か、自然と「新民謡」に認定される日がくるでしょう。要はその地方の人たちの受け止め方次第で決まるのです

その条件は、ヒットした曲であること、盆踊りやお祭り、またはその地方の各種行事で必然的な曲として使われ続けられる場合です。

昭和20年に出来た「惜別の歌」は、歌い継がれている内に、いつのまにか「中央大学学生歌」と称されるようになりました。つまり第二の校歌になったのです。

最後に、ご当地ソングの中で最も可能性のある曲をひとつだけ挙げておきます。それは「無法松の一生」です。下記を参照して下さい。

無法松の一生
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%B3%95%E6%9D%BE%E3%81%AE ..... 0%E7%94%9F

無法松の一生(度胸千両入り) 村田 英雄
http://www.youtube.com/watch?v=a3K32Tk8fYo

惜別のうた 倍賞千恵子
http://www.youtube.com/watch?v=ydZ2L1haDUU&feature=related



[453] 民謡をたずねて その13 投稿者:Y.F 投稿日:2011/10/05(Wed) 10:59 [返信]  

新民謡について(11)

新民謡調歌謡曲 「博多夜船」 昭和11年

この年コロンビアでは音丸時代が到来しました。前年「船頭可愛や」のヒットを放ってから、「満州想えば」「君は満州「満州吹雪」の三部作で、軍国調歌謡歌手として売り出しましたが、「博多夜船」によって花ひらいたのです。

音丸のヒット曲は、そのほとんどのが高橋掬太郎の作詞で、これを江口夜詩、竹岡信幸、古関裕而、大村能章らの作曲家たちがバック・アップして成功しています。これは、民謡ごのみの市村ディレクターの企画のよさが寄与しています。

「満州想えば」も民謡調ですが、高橋掬太郎・竹岡信幸のコンビで出した「下田夜曲」も大当たりしました。その他、「大島くづし」「潮来追分」もヒットしました。

音丸は、橘流筑前琵琶や民謡を習っていた老舗の履物屋(東京)の一人娘で、ちょうどこの頃小唄勝太郎、市丸、赤坂小梅などの芸者歌手が一世を風靡していました。

博多夜船 音丸
http://www.youtube.com/watch?v=zhJMBX7orOE&feature=related




[452] 民謡をたずねて その12 投稿者:Y.F 投稿日:2011/10/03(Mon) 17:05 [返信]  

新民謡について(10)

PR用新民謡 「熱海ブルース」 昭和14年

これが新民謡?と思われるでしょう。ブルースの曲は初めてです。それはともかく、なぜ新民謡なのか、遡って説明します。

昭和10年、国民精神総動員で、レコード界への風当たりも急に強くなり、内務省検閲課の検閲の目が光り始めました。

最初に槍玉に挙げられたのが「無情の夢」です。作詞家の佐伯孝夫はさんざん油を絞られました。曰く、帝国男児たるものが、恋に命をかけるとは何事ぞ。命は天皇陛下に捧げるものである。曰く、日本男子たるものが花にそむいて「男泣き」とは何事ぞ。

続いて同年発表された「雨に咲く花」は、唄い出し「およばぬこととあきらめました、だけど恋しいあのひとよ」がいけなかった。最後のむすび「ひとり泣くのよ、むせぶのよ」はなおいけなかったのです。即発売禁止になりました。

この曲は昭和35年、ロカビリー歌手井上ひろしのカバーで大ヒットし、25年後に日の目を見ることになりました。リバイバルソングの第一号です。なお、第二号は、昭和36年フランク永井の「君恋し」(昭和3年の曲)で、レコード大賞を受賞しました。

支那事変後の昭和14年になると、軍による検閲は一段と厳しいものになりましたが、新民謡運動に対しては寛大でした。それには、日本古来の伝統の再認識という大義名分があったからです。

「熱海ブルース」は、熱海温泉がPRのために依頼してきたものです。日本古来の伝統の再認識という大義名分を隠れ蓑にした新民謡ということにしたため、発売禁止を免れたのです。「雨に咲く花」と聴き比べて下さい。

作詞は先に挙げた「無情の夢」と同じ佐伯孝夫です。彼は依頼を受けると、さっそく現地視察と称して熱海へ出かけましたが、いつまでも帰って来ませんでした。「茶切り節」の白秋と同じように、視察どころか、宿の一室にこもったきりで酒ばかり飲んでいました。

作詞が出来上がったのは締め切りぎりぎりでした。作曲者の塙六郎はあわてて駆けつけ、歌手の由利あけみを待たせておいたまま、四、五十分でこの詩に曲をつけたそうです。

歌手の由利あけみはオペラ歌手です。この歌手の歌は見つかりませんでしたので、昭和40年のフランク永井の曲にリンクします。

また同年に発売された「長崎物語」は由利あけみのものがありました。この曲は、長崎市がPRように作ったものではありませんが、大ヒットし、「長崎もの」のはしりとなった名作です。

熱海ブルース 唄ーフランク永井
http://www.youtube.com/watch?v=wmVU4mcLZwE&feature=related

長崎物語(じゃがたらお春の唄) 由利あけみ
http://www.youtube.com/watch?v=t3jz4s4qcKE&feature=related

井上ひろし 雨に咲く花 カバー
http://www.youtube.com/watch?v=DSGm7hFhN4g



[451] 民謡をたずねて その11 投稿者:Y.F 投稿日:2011/10/02(Sun) 18:53 [返信]  

新民謡について(9)

PR用新民謡 「野崎小唄」

昭和10年、野崎村(現大阪府大東市)のPR用に作られた曲です。

作曲者の大村能章は大正15年頃三味線を学び、これを取り入れた和洋合奏風の曲を作り始め、後の大村調メロディーの基礎はこのときに出来上がっていました。

そういった経緯で、「野崎小唄」の作曲でも、間奏にに義太夫の連弾を取り入れました、ところが、会社の上層部から文句が出ました。

その一つは、これじゃまるで「活動写真」の伴奏みたいだというものです。もう一つは、非売品レコードに、こんな手の込んだ編曲はもったいないというものでした。

大村能章は怒りました。「たとえ非売品であろうと、作曲に手を抜くことは音楽家としての俺の良心が許さん。ましてや、野崎村のPRとあっては、あの連弾を入れぬと曲に魂がないのも同然だ。大村は”野崎の段”を知らんのかと哂いものになるじゃないか」と。

彼は頑として上層部の意見をはねつけました。この骨っぽさがあったればこそ、あの名曲「野崎小唄」がオリジナルの形で今日まで残ったのです。東海林太郎の唄で大ヒットしました。

※注 歌舞伎・人形浄瑠璃の演目『新版歌祭文』(しんばん うたざいもん)の「第三幕 野崎村の段」の通称。この演目ではこの段しか上演されないので、通常はただ『野崎村』という。

野崎小唄 東海林太郎
http://www.youtube.com/watch?v=3D_NeaTLgIY&NR=1



[450] 民謡をたずねて その10 投稿者:Y.F 投稿日:2011/09/30(Fri) 20:14 [返信]  

新民謡について(8)

余話 新民謡系統の歌謡曲

民謡の中には「ハア・・・」で始まる曲がたくさんあります。

昭和8年、これを最初に取り込んだのが、小唄勝太郎の「島の娘」で、発売と同時にたちまち50万枚を売り尽くしました。これ以後、「ハア・・・」で始まる曲を「ハア」小唄と呼ぶようになりました。

同年の勝太郎の曲「東京音頭」「佐渡を想えば」も「ハア」で始まります。

もう一人、市丸の「天竜下れば」も「ハア・・・」で始まります。これも昭和8年の曲。この曲は、「東京音頭」と同じように、中山晋平が苦心して囃子言葉を入れています。

この頃は「勝・市」時代といわれました。

小唄勝太郎 島の娘
http://www.youtube.com/watch?v=75KKT_JvOwk&feature=related

市丸 天竜下れば
http://www.youtube.com/watch?v=oVRJvHJpXcU



[449] 民謡をたずねて その9 投稿者:Y.F 投稿日:2011/09/29(Thu) 11:03 [返信]  

新民謡について(7)

「ちゃっきり節」

昭和6年6月に市丸の唄でレコードが発売され大ヒットしました。この頃、新民謡というものがちょっとしたブームを巻き起こしており、そうした機運の中から生まれた新民謡です。

この歌は、もともと静岡電鉄がそのPR用に企画したものです。北原白秋に作詞を、町田嘉章に作曲を依頼しました。

昭和2年の春、まず白秋が単身、実地視察のため静岡へやってきました。そろそろ茶摘みの始まる頃でした。ところが、視察にきたはずの白秋は、宿から一歩も外へ出ることはなく、明けても暮れても酒びたりでした。

白秋と酒、これはあまりにも有名です。酒一斗、詞百編、まさに詞仙李白の境地でしたが、このたびばかりは、飲めども飲めども、詞魂が躍動するどころか、滅滅として気が沈み、想はまとまりませんでした。

海道一の大親分、清水の次郎長を登場させ、それに茶を摘む鋏の音「ちゃっきり」を入れる、という断片的なひらめきだけはありました。

そうしたある日の夕方、つきっきりで酒の酌をしていた年増芸者が、うす暗くなりかけてきた部屋の障子に身を投げかけるようにして、暮れかかる空をながめて、ぽつんと溜息まじりにつぶやきました。

「あああ・・・きゃあるが鳴くんで・・・明日は雨ずらな・・・」

ここからあとはもう堰を切ったように歌詞が飛び出してきました。思えば、長い流連荒亡の果てに出来た歌でした。歌は30番まであり、静岡県内各地の地名・方言がふんだんに盛り込まれていいます。

ちゃっきり節
http://www.youtube.com/watch?v=DxzAUfjF63k



[448] 「民謡をたずねて」楽しみです!! 投稿者:H.S 投稿日:2011/09/28(Wed) 10:29 [返信]  

この掲示板に素晴らしいシリーズが掲載されていてびっくりしました。「民謡をたずねて」既にも8回にもなるのですね。掲示板を開くのがとても楽しみです。
Y.Fさまの解説もわかりやすく、紹介の曲を聴くと、あの重たく厚めのレコード盤で聴いていた子どもの頃が思い出されます。その頃、子ども向けの童謡もたくさん聴いたり歌ったりしていましたが、流行歌なども一緒に意味はわからずとも口ずさんで育ちました。
紹介の曲を聴くとあたかも昔のアルバムを開いているようです。
お話にも知らなかったことばかりでとてもお勉強になります。楽しみにしています。



[447] 民謡をたずねて その8 投稿者:Y.F 投稿日:2011/09/26(Mon) 14:49 [返信]  

新民謡について(6)

歌謡曲から民謡へ「島原地方の子守唄」

作者は「まぼろしの邪馬台国」の著者・宮崎康平。

1949年、地方巡幸に伴い昭和天皇の島原来訪、島原鉄道は路盤を強化する必要に迫られ、昼夜を徹した突貫工事が行われました。

このときの過労がたたり、1950年に眼底網膜炎で失明。しかし、昭和天皇の案内役を務めるため、鉄道のカーブの数を数え、何度も練習し務め上げました。

昭和天皇は最後側近に言われるまで、康平が盲目だということに気づかなかったそうです。同時に当時結婚していた妻より離縁の申し出を受けて離婚。

離婚後に一人で子どもを育てた際に歌って聞かた子守唄が後に「島原の子守唄」として知られるようにななりました。また同年、失明を理由に島原鉄道常務取締役を辞任しましたた。このとき、会社は宮崎を慰留していますが、失明した者には仕事はできないと、これを固辞しています。

1952年に「島原鉄道観光の歌」を作ることとなり、島原鉄道は宮崎へ作詞を依頼、この歌の作曲をした古関裕而と知り合うことになります。

1957年には和子と再婚、同年7月には島原大水害が発生、島原鉄道の強い要請で再び常務取締役となっていた宮崎は鉄道復旧のため、1949年と同様に陣頭指揮に立ちました。このとき、多数の土器が出土したことから宮崎は古代史の研究に強い興味を示すこととなります。

1960年には島原鉄道常務取締役を辞任、九州全域から朝鮮半島にまでいたる調査を経て、1965年から文学雑誌・九州文学へ調査結果を連載し始めました。これをまとめ、一冊の本としたのが講談社から1967年に発売された「ぼろしの邪馬台国」です。この書籍はベストセラーとなり学者のレヴェルにとどまっていた邪馬台国論争を一般にまで一大ブームとなりました。

この功績により、同年創設された第1回吉川英治文化賞を受賞しました。なおこの書籍が妻・和子の口述筆記によるものであったことから同賞は夫妻に対して贈られています。

離婚後に一人で子どもを育てた際に歌って聞かせた子守唄は古関の強い薦めもあって「島原の子守唄」として改めて作詞、島倉千代子の歌唱で1957年にコロムビアレコードより発売されましたが、それほどヒットせず。

島原の子守唄」が世に知れ渡ったのは1959年にペギー葉山がレコーディングした音盤がヒットしためです。

また、前半のメロディが山梨県韮崎地方の民謡「縁故節」とそっくりです。以前聴いたメロディーが耳に残っていたのでしょう。

「縁故節」の成立年はわかりませんが、歌詞に使われていることばから大正時代に作られたのではないかと思われます。

明治時代、島原半島や天草ゥ島の貧しい農家から、多くの娘が身売りに出されました。その数は累計20万人とも30万人ともいわれます。

彼女たちは、島原半島南端の口之津港に深夜密かに集められ、そこで外航船の船底に石炭とともに詰め込まれて、中国や東南アジア各地の娼館に売られていきました。     

彼女たちの運命は過酷でした。外航船のなかで船員たちの慰み者になることも多かったし、娼館では辛い性奉仕や男たちから移された病気によって命を落とす者も少なくありませんでした。こうした女性たちが、からゆきさんと呼ばれました。

このことがこの曲に歌い込められています。

島原地方の子守唄 ペギー葉山
http://www.youtube.com/watch?v=pYRxFxrEAgY



[446] 民謡をたずねて その7 投稿者:Y.F 投稿日:2011/09/22(Thu) 18:15 [返信]  

新民謡について(5)

歌謡曲から民謡へ「祇園小唄」

古くから日本の中心地であった京都市、日本を代表する民謡があると思っていましたら、意外や意外何もないといっていいほどです。

日本海に面した宮津市の「宮津節」はありますが。また、ネットで調べると「竹田の子守唄」がうUPされていますが、これはちょっと特殊は歌ですので、民謡祭りで歌われることはありません。後で取り上げます。

京都民謡まつりで舞妓さんの踊りとともに歌われているのは「祇園小唄」です。この歌は映画「絵日傘」の主題歌として昭和5年1月の新譜として発売されました。映画は長田幹彦の長編小説「祇園夜話」を映画化されたものです。

今ではこの「祇園小唄」が京都を代表する民謡と言えるでしょう。
作詞・長田幹彦、作曲・佐々紅華、唄・藤本二三吉

祇園小唄(藤本二三吉)
http://www.youtube.com/watch?v=pZkvOdSZGNQ



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